私がギャンブル依存症の夫の嘘をスルーできるようになったワケ
夫のギャンブル依存症が発覚してから、私が一番悩んだのは夫の嘘つきグセでした。
夫はギャンブルや借金に関する嘘だけでなく、全く関係のない日々の中の会話でもちょくちょく嘘をついていました。
多分これはギャン妻さんあるあるだと思います。
こちらからすると本当にどうでもいいようなことで嘘を繰り返す夫。
何度も
「嘘をつないでほしい」
とお願いしました。
でも夫には私の気持ちは伝わらなかったようです。
当時、誰にも相談できなかった私は、ネットに頼るしかなく、グーグルの検索に
「嘘 夫 理由」
「嘘 治す 方法」
「ギャンブル依存症 嘘 夫」
など、思いつく限りに検索しましたが何も納得のできる答えは見つけられず…まぁ、当たり前ですけどね。。。
人間、全く嘘をついたことのない人っていないですよね。
私だってどうしてもしんどい職場から逃げたいときには上司に嘘ついて退職したことあるし、乗り気じゃない飲み会に、それっぽい適当な(嘘の)理由をつけて断ったりしたことはあります。
生きるため、人間関係を円滑にすすめるために必要な嘘もあると私は思っています。
だけど夫のつく嘘は、私からしてみれば「そんなことで?」と思ってしまうようなレベルのもの。
夫は、私という人間をギャンブルによる借金でこんなにも傷つけているにもかかわらず!
どんなにお願いしても「嘘をつく」という行為をやめてくれない。
日本語が通じないの??
私のことおちょくってる??
反省してないよね??
人として恥ずかしいと思わないの??
もう本当に一時はノイローゼになるかと思うくらいに悩みましたし、夫を罵る言葉ばかりが頭の中を占領していました。
2度目の借金が発覚したあとに、二人で夫の実家に行ったときのことです。
そのときにお義父さんがまず最初に夫に対して言ったのは、
「嘘をつくのが一番ダメ!!!小さい頃からそう言ってきただろうが!!!」
ってことでした。
私もそれを横で聞きながら、
「そうだそうだー!!」
なんて心の中で頷いてましたが、よく考えてみればそう言われて育ってきたにもかかわらず、大人になってもなお嘘をつき続け周囲の信用を失っている夫。
もう私にとっては謎でしかありませんでした。
その頃の私は、
「夫の嘘をいかに暴くか」
ということに全身全霊を捧げていました。
私の夫に対する嘘センサーは、エスパー並みだと思います。
だけどある日気づきました。
こんなことしてても意味がないなと。
きっかけは、「祈り」の言葉を自分自身に問いかけたことです。
ギャンブル依存症当事者とその家族でGAやギャマノンに繋がっている人なら、おそらくほとんどの人が聞いたことがあると思います。
私がこの「祈り」の言葉を自分自身に問いかけたのは、『7つの習慣』という本を読んだのがきっかけでした。
- 作者: スティーブン・R・コヴィー,フランクリン・コヴィー・ジャパン
- 出版社/メーカー: キングベアー出版
- 発売日: 2013/08/30
- メディア: ハードカバー
- この商品を含むブログ (9件) を見る
読んだことのある方は知っていると思いますが、『7つの習慣』の中で「祈り」が引用されています。
<祈り>
神さま、私にお与えください
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは、変えていく勇気を
そしてその二つの物を見分ける賢さを
※上の文章はGAハンドブックから引用しています
この本を読んだのは、たまたま自己啓発本として何度めかのリバイバルをしており話題になっていたからで、夫のギャンブル依存症をどうにかしようと思ったからではありませんでした。
だけどこの本を読む中で「祈り」の言葉を自分に問いかけてみたとき、私は今まで悶々と悩んでいたことが、一気に晴れて目の前が明るくなったように感じました。
夫が変えられないことって何だろう
夫が変えられることって何だろう
私が変えられないことって何だろう
私が変えられることって何だろう
GAやギャマノンのハンドブックは一通り目を通していたつもりでしたが、この「祈り」の言葉を自分自身に問いかけたことはありませんでした。
夫が変えられないこと
→ギャンブル依存症であること
夫が変えられること
→今日一日、ギャンブルに行くかどうかの選択
私が変えられないこと
→夫がギャンブル依存症であること、嘘をつくこと
私が変えられること
→夫とこれからも家族として生きていくかどうかの選択
考え出せばもっとたくさんあります。
だけど、この事実に気づいたとき、私は夫をコントロールすることをやめました。
だってコントロールできないんだもん。
嘘をつくことも、隠れてギャンブルに行くことも。
だけど夫と夫婦としてやっていくかどうかは自分で決められる。
自分でコントロールできることです。
私は自分でコントロールできることに目を向けようと決めました。
それからはかなり心に余裕ができました。
具体的には、あー、今嘘ついてるなって気づいてもスルーです。
どーでも良いような小さな嘘や、もしかしたらスリップしてる?と思うようなことでも、基本的にはスルー。
私がするのは夫の通帳と自分の通帳、キャッシュカードの管理。
(お金の管理についてはこちら↓)
朝帰りしようが、嘘ついて遊びに行ってようが、そのことを言及することはありません。(ツイッターにはちょいちょい愚痴ってるけど笑)
今は離婚に向けて自分にできることを努力している毎日です。(今年中に離婚する日を決めたい、ぐらいのゆるさですけどね…)
さらに今になって思うのは、私にとっては「どーでも良い理由」でついていた嘘も、夫にとっては「死活問題」に相当するくらいの嘘だったのかもしれないということです。
私が「そんなことで?」と思うような嘘でも、
もしかしたら夫にとっては
「今ここで嘘をつかないと!俺の尊厳が!!俺のアイデンティティが侵される!!耐えられない!!ぬおぉぉぉぉぉl!!!」
っていう、そのぐらい逼迫した心理状態だったのかも。
(知らんけど)
夫と私の間で、それだけ一つの嘘に対しての認識が違っていれば、
「アナタ チガウクニノ ヒトデスカー??」
ってくらいに分かり合えなくてもしょうがないのかも。
もしも今、絶賛ギャン妻、ギャン夫とし苦しんでいる方がいたら、
この「祈り」の言葉を自分自身に問いかけてみてください。
あなたに変えられることは、何ですか?
あなたがどうやったって変えられないことは、何ですか?
この言葉、依存症に限らずすべての人間に送っていいくらいの素晴らしい言葉だと私は思っています。
世の中って、結局自分で変えられるものと、自分では変えられないものの2つしか無いですから。
(あと、『7つの習慣』めちゃお勧めなので読んだことない方はぜひ)
ちなみに、義実家に二人で行ったあとの後日談があります。
その翌月に夫のお祖父ちゃんの法事がありまして。
それは借金が発覚する前から決まっていたことなので、夫一人が帰ったんですね。(お葬式も夫一人が帰ったので)
その時、まだまだ夫をコントロールしようとしていた私は、夫のケータイを覗き見しました。
するとそこには義母から夫へのメッセージが。
「法事は出なくてもいい。お父さんともう一度話してほしいから、法事という口実で帰ってこい」
というものでした。
ぅおぃっっっ!!!
親が息子に嘘つかせとるやないか!!!
いや、法事のためじゃなくても、帰省することに対して私文句言いませんけどね???
義両親は、
「夫が依存症になったのは嫁にも原因があるから二人で反省しろ」
っていうスタンスだったのですが、私からの反応が義両親の期待するものとは違ったようで、私のことは抜きにして息子を再度教育したかったみたいです。。
まぁ、もう好きにしてください。
では今日はこのへんで。
自分の人生は自分で決めます↓