湯水のようにお金が無くなる
前回の内容はこちら↓
新たな土地へ引っ越してから1年半。
部屋中から求人誌が出てきて、怪しいと思い夫のバイクシートを開けたところ、消費者金融のキャッシュカードが出てきました。
その日は平日で、朝バイクシートを確認したら仕事に行こうと思っていたのですが、想像通りというか、現実になってほしくなかったことが現実になってしまい、とても仕事に行ける精神状態ではなくなりました。
職場へ体調不良で休むと連絡をした私は、まず消費者金融の借入残高がいくらあるのかを調べに行きました。
と言っても、近所に専用のATMがあるわけでもないので、とりあえずコンビニのATMにカードを入れてみました。
消費者金融など利用したことのない私は、どのようにしたら借入残高を確認できるのかがわかりません。
とりあえず、ATMから出てきた明細用紙に書かれている金額は4万6000円。
この金額が、借入の総額なのか、何なのかよくわからず、埒が明かないので消費者金融のフリーダイヤルに電話をしてみることに。
(後から分かったのですが、この4万6000円は毎月の返済金額でした)
CMの影響もあって、消費者金融って電話したらテレオペの若い女の子が出るんだろうな~っと勝手に思っていたのですが、実際は電話をかけても自動音声が流れるだけでした。
コンビニから家への帰り道、自動音声に従ってスマホを操作すると、カード番号と、暗証番号を入力するよう促されます。
暗証番号はカンでしたが、記憶力の弱い夫ならほかのキャッシュカードと同じ暗証番号だろうと思い、入力。
はい、ビンゴ。
あまりにもすんなり操作が進み、危機管理の甘さに呆れながら、借入残高を読み上げる自動音声を聞きました。
すると、
「ひゃくよんじゅうはちまん……」
という、想像を絶する金額が耳から脳みそを突き抜けました。
もう本当に、上のイラストのような、後頭部をハンマーで殴られてその衝撃で目玉が飛び出るような、そんな衝撃……。
今までの人生でこんなに驚いたことってないと思う。
どうせ驚くなら、もっとハッピーなサプライズを経験したかった。
私の人生はそんなものとは無縁らしい。(とほほ)
この衝撃はきっと一生忘れないんだろうな。
道の真ん中で、ビックリしすぎて立ち止まる。
さて、この衝撃の事実を知ったのが、午前9時ごろ。
夫はまだまだ起きてくる気配がないので、よろよろと一旦家に帰った私は、今度はキャッシュカードと一緒にバイクから出てきた地方銀行の通帳を片手に、近所の支店へ記帳をしに行きました。
記帳をすると出るわ出るわ、出金記録。
通帳を作ったのが、引っ越してきた10日後。
その後の入金記録に、27万円と、46万円という、大きな金額が記録されていました。
入金元を調べると、一つは中古車販売会社、もう一つは中小企業の退職金を取り扱う会社でした。
もともと我が家は、夫と私、それぞれ1台ずつ車を所有していました。
しかし、転職によって、それなりに公共交通機関の便利な地域へ引っ越すことになったので、収入も下がることだし、より古い夫の車を処分したのです。
私の仕事の都合で、夫が先に引っ越してから、2か月ほど遅れて私が夫の元へ行くという形での転居でした。
夫は自分の車でまず引っ越し先へ移動し、
車を売る手続きは、引っ越し先で夫がすべて一人で行いました。
当時、車の買取金額について夫は、
「9万円にしかならなかった」
とLINEで知らせてきました。
だけど、実際は27万円で売れていたのです。
また、退職金については、私が無知だったこともありますが、いつもの給与振り込み用の口座へ給与と一緒に振り込まれるものだと思っていました。
給与振り込み用の通帳は私が管理していましたが、家族経営の小さな会社でそもそも退職金なんてあてにしていなかったので、夫の退職後にその口座へ振込まれた金額を見ても、特に不審に思っていませんでした。
実際は退職金は給料とは別に、中小企業の退職金を取り扱う別会社から振り込まれていたのです。
そして、振り込みの連絡は直接本人にされ、夫は振込先を自分で開設した口座に指定していたのでした。
記帳された通帳には、残高がみるみる減っていく過程が記録されていました。
↑のブログに書いたときと同じように、数日おきに2~3万円が引き出されています。
それも、毎回コンビニで引き出しているようで、支払手数料だけでも結構な金額になっていました。
結局、夫が退職した年の2月と3月に振り込まれた合計70万円ほどのお金は、9月には0円になっています。
通帳の残高が0円になってから半年ほどたったころ、数千円ずつですが入金がされるようになっていました。
入金元は、メルカリであったり、夫が日雇いで働いたと思われる会社名が記載されていました。(そのお金も数日後にはきれいに引き出されていますが)
私が夫の部屋で求人誌を見つけたのも、通帳残高が0円になった、ちょうどその頃です。
求人誌を見つけたとき↓
また、消費者金融からの最終貸付日もその時期と重なっていて、この頃にはもう、貸付限度額いっぱいまで借金している状態で、新たな借り入れもほぼできない状態になっていたのです。
隠し持っていたお金も使い果たし、消費者金融からの借り入れもできなくなった夫は、しょうがなく日雇いのバイトで返済をしながら、それでもパチンコへ行くことを止められなかったようです。
私は嫌な予感が当たってしまった絶望感と、ギャンブル依存症の恐ろしさを目の当たりにしてただ茫然とするしかなく、リビングで一人夫が起きてくるのを待ちました。
↓こちらの記事へつづく
探偵再び
前回の記事はこちら↓
夫のギャンブル依存症と借金が発覚したのが2014年。
2015年に入ってから夫が転職することになり、私たち夫婦は生まれ育った地元を離れ、県外に引っ越すことになりました。
夫の勤務開始が2月からだったので、ひとまず夫だけが1月末に引っ越し。
私は自分の仕事の引継ぎなどがあったので、3月末に後を追う形で夫の元へ行きました。
新生活にもすっかり慣れた2016年9月。
夫の新たな借金が発覚しました。
最初に怪しいなと思ったきっかけは、2016年4月ごろ。
夫がいないときに夫の部屋を掃除していたところ、本棚に無料のアルバイト情報誌があるのを発見しました。
もうそこから嫌な予感しかしない。
部屋じゅうくまなく探すとありとあらゆるところから、求人情報誌が出てきました。
転職をしてから夫の給料は大幅に下がりました。
また、私も引っ越しをした先では派遣社員になったので、ボーナスがなくなり、世帯年収はかなり下がりました。
夫のお小遣いも、毎月5万円だったのを、収入が下がったこともあり毎月3万円にすることにしました。
お弁当をもっていかないので、仕事中のご飯代と通勤に使っていた原付バイクのガソリン代込みです。
夫の部屋にあった求人誌をみて、
「私の誕生日プレゼントのために、こっそりバイトをしようとしてるのかしら……。」
なんて、一瞬のんきな考えが頭に浮かびましたが、夫の性格を考えると悲しいけれどその可能性はゼロです。
絶対に何かを隠している。
そう確信した私は、求人誌のことはとりあえず気づかないふりをして、夫の行動を注意深く見守ることにしました。
夫の新しい仕事は、出勤が15時、退勤が午前0時という、昼夜が逆転したような仕事です。(夜の街のお仕事ではありません)
一方私は、普通の事務職なので朝は7時半に家を出て、18時過ぎには帰ってきます。
私が寝ている間に夫が帰ってきて、夫が寝ている間に私が出ていく。
お互いが顔を合わせるのは週に2日か3日ほどの、すれ違いの生活でした。
それでも私は、夫がストレスフルなブラック企業から離れ、給料は安くても自分の好きな分野での仕事につけたことに満足していたし、私自身転職を余儀なくされたものの、引っ越し先は地元よりもずっと都会で活気があり、新しい職場でもやりがいを感じて働けていたので、お互いに楽しく生活できていると思っていました。
しかし、夫の部屋で求人誌を見つけてからは、毎日仕事から帰ったら夫の部屋をチェックする日々。
そのうち、日雇いで働いたと思われる給与明細と、私に隠れて作ったとみられる地方銀行の通帳が見つかりました。
通帳は、口座を開設した時の預け入れ1,000円の明細しか記録されておらず、今現在の残高がどうなっているかは分かりません。
近所にある支店へ行って、記帳すればすぐにわかりますが、夫に黙って記帳すると私が通帳の存在を知っていることを知られてしまいます。
何か他に手がかりを探せる場所はないか……。
一番最初に夫が嘘をついた時と同様に、このころの私は探偵さながら、日々頭をフル回転させていました。
この頭の回転を、ほかのことに役立てられていれば、今頃私はもっと出世できてるんじゃないだろうか(泣)
そして、思い立ったのが、夫が毎日通勤に使っている原付バイクです。
夫が私に何かを隠すことのできる確実な場所。
原付バイクの、シート下の収納を確認しようと思いついたのです。
私はバイクに乗ったことがないので、まずは夫の乗っているバイクの車種を確認し、ネットでシートカバーの開け方を調べました(笑)。
夫も、自分の知らないところで、まさか嫁がここまで執念深く調べているとは思わなかったと思います。
夫が寝ている間に、玄関に置いているバイクのカギをもってアパートの駐輪場へ。
慣れない手つきでバイクをいじっていると、同じアパートの住人に怪しげ見られましたが、そんなことを気にしている場合ではありません。
どうにかシートカバーを開けると、中には地方銀行の通帳と、見覚えのあるキャッシュカードが出てきました。
そのカードは、地方銀行のキャッシュカードではなく、まぎれもなく消費者金融のキャッシュカードだったのです。
この件の続きは、また次回のブログに書きます。
夫が転職したのは、以前の職場が典型的な一族経営でかなりブラック気質な会社だったからです。
実は私も結婚前は同じ会社で働いていたので、夫のストレスは痛いほどよくわかりました。
しかも、外回り営業をしていた夫は、同僚からよく仕事中にパチンコ屋へ誘われることがあったそうです。
その会社では、成績さえ出していれば上から目を付けられることもないし、勤務時間中にパチンコ屋へ行くのは珍しいことではなかったようで、夫自身GAへ通ってパチンコ屋へ行かなくなっても、それを知らない同僚からはたびたび誘われることがあったと聞いていました。
そんな中で、今の(夫の得意なことを活かせる)会社の求人募集を知り、「パチンコ屋への誘惑がつきまとう上に、ブラックな職場」を離れられるならと、私は喜んで転職に賛成したのでした。
結局は、本人が変わっていなければいくら環境を変えたところで意味がないってことですね。
いや、ホントいい勉強になりました。(白目)
↓こちらの記事へつづく
自助グループにさえ行けばいいと思っていた
前回の記事はこちら
※この記事は、2014年ごろの出来事について、思い出しながら書いています。
消費者金融で借り入れていた借金をすべて返し、あとは夫のギャンブル依存症からの回復のために動くのみとなりました。
そのために、事前に調べておいた「GA」というギャンブル依存症からの回復を目指す人たちの集まりである、自助グループへ参加することにしました。
GAは、実際にギャンブル依存症の人たちによって運営されているグループです。
当時、私たちが住んでいた地域はそこそこ田舎で、県内で活動しているグループは少なく、2ヶ所しかありませんでした。
しかし、幸いにもそのうちの1ヶ所は、普段からよく買い物に行くスーパーのすぐそばにありました。
GAには、私が買い物に行くついでに車で送ることにしました。
ついでと言いながらも、本当に行ってくれるのかが不安で、建物に入るまでを確認したいという気持ちが本音です。
初めてGAに参加した夫は、とても清々しい表情で、行ってよかった!と喜んで帰ってきました。
自分と同じ立場の人たちと出会えたこと、また、その人たちの話を聞くことで、自分自身を客観的にみることができたこと。
そして、今まで一人でもがき苦しんでいたことが、自分一人ではないという希望に変わったようでした。
夫には、ギャンブル依存症が発覚した後、「とにかくどんな小さなことでも嘘をつかないでほしい」とお願いしました。
どうしてもパチンコ屋に行きたくなったのなら、その気持ちも隠さずに、すぐに私に伝えてほしい、と。
夫には付き合っていたころから、「なんでこんなどうでもいいような嘘をつくんだろう」と思わされることが何度かありました。でも本当にどうでもいいことなので、特に追及することもありませんでした。
しかも、結構すぐばれるような嘘のつき方をします。
女である私が、嘘に気づくことに長けているのかもしれませんが、嘘をつくのが絶望的に下手なのに、簡単に嘘をつく。
思えば、ギャンブル依存症が発覚したきっかけも、夫のへたくそな嘘でした。コレ↓
付き合っているころから前兆があったのに、それを見えないふりして結婚してしまったことに少し後悔もしています( ;∀;)
あの頃の私、見る目がなかったんだなぁ……。
さて、何度かGAに参加した夫に、「パチンコに行きたくなることある?」と聞いたことがあります。
すると夫は、自信に満ちた顔で「全然」と答えてくれました。
「ただ一度だけ、ふと気が付いたらパチンコ屋の駐車場にいたことがある」
とも話してくれました。
今まではなんでも完璧をふるまおうと嘘ばかりついていた夫が、ふと自分自身の弱い部分を話してくれたことがとても嬉しかったのを覚えています。
(ちなみにそのあと、パチンコ屋の中まで入ることはなかったそうです。)
夫のギャンブル依存症が発覚してからというもの、私自身も強い不安感とストレスから、体調を崩すことが増えました。
その年は私の本厄の年でもあり(笑)この年は今まで生きてきた中で本当につらい一年でした。
健康優良児だった私が、こんなに病院のお世話になるのかというくらい、よく病院へ行っていました。
女の本厄恐るべし。(気をつけなはれやっ)
まぁ、そのおかげでいろいろな経験をすることもできたわけですが(=_=)
当時私たちの住んでいた地域では、GAの開催は毎月前半の週は日曜日、後半の週は土曜日となっていました。
夫の仕事は日曜日は完全に休みですが、土曜日は仕事になることも多々あります。
確実に行けるのは日曜日なのですが、台風だったり、借りている公民館の都合であったり、行ってみたらミーティングが中止になっていたことも何度かありました。
そうこうしているうちに、だんだんとGAから足が遠のいていくようになりました。
私も夫の様子を見ていて、きっともう大丈夫だと思っていたし、二人の休みが合うのが日曜日だけということも多かったので、二人で出かけることを優先にしていたというのも理由の一つです。
結論から言うと、この時夫のギャンブル依存は全く改善していませんでした。
この約1年後に、新しい、さらに大きな借金が発覚することになるのです。
GAについては、賛否両論あります。
合う人がいれば、合わない人もいます。
GAに行けば絶対に回復するという保証があるわけでもありません。
しかし、夫はGAのミーティングに参加することで、パチンコ屋へ向かうことを抑えられていたと思います。
ただ、GAへ参加することが少なくなると、誘惑に負けてしまうようでした。
↓こちらの記事へつづく
ギャンブル依存症者の通帳から見えた依存度と2回目のお小遣い制度で分かったこと
前回の記事はこちら↓
前回、夫は嘘をついてたびたびパチンコ屋へ足を運んでいたことを認めました。
そして、20の質問で自身がギャンブル依存症であることを認め、回復のために自助グループへ通うことも約束しました。
(自助グループへの参加についてはまた別の記事で書きます)
少し前の記事↓でも書きましたが、この時は、財布は完全に別々にしていました。
夫のギャンブル依存症が発覚してからは、再び私が家計を管理することになりました。
最初に発覚した90万円の消費者金融での借り入れも、返済は夫自身でするように伝えていましたし、二人でしていた貯金も夫の分は夫の口座へ戻していました。
なので、この時点で消費者金融への返済は1回で完済できるだけの金額が、夫の手元にはあったのです。
ところが、夫は月々の返済を今まで通りしているだけ。1回で済ませられるはずの消費者金融からの借り入れはほとんど減っていませんでした。
そして、夫に返していた夫名義の通帳もカードも、再び私が預かることになったのですが、預かった通帳を記帳して驚きました。
2~3日おきに、3~5万円の現金が引き出されているのです。
それを見ただけで、お金の使い方が普通でないことが容易に想像できます。
きっと、夫が通帳を持ったままだったら、このお金もすべてパチンコに溶けていたに違いありません。
夫のギャンブルへの依存度が、その通帳には表れているようで、見るだけで胸が苦しくなります。
ギャンブル依存症者は、ギャンブルに対する金銭感覚が完全に麻痺しています。
夫曰く、少しでも勝ってしまうと、それまでの負けがすべてなかったことのように思えるそうです。
一方で、自分の生活に支障のない範囲のお金だけを使って、ギャンブルを純粋に楽しめる人もいます。
夫は残念ながらそうではありませんでした。
さて、私が再び家計管理をすることになり、夫のお小遣い制も復活することになりました。
ただ、前回毎月2万円としていた金額は、営業職である夫にとってはとても足りない金額のようでした。
それは、前回のお小遣い制度の時に、夫が常にイライラしている様子からもうかがえました。
そのため、今回は夫と話し合い、付き合いの多い職業でもあるため、毎月のお小遣いを5万円とすることにしました。
このころから、2人で話し合って物事を決めることがだんだんと増えてきました。
私が今までなんでも決めてしまっていたことも、夫と話し合ってから決めるように意識するようになりました。
私自身、そんなつもりはなかったのですが、どうやら私は夫の意見などそもそも聞く必要が無いだろうと、どこかで決めつけていたような気がします。
私の言うことはすべて受け入れてくれるでしょ、と思い込んでいました。
夫は、衝突を避けてか、反論もせず私の意見を受け入れようとしていましたが、夫本人も気づかないうちにストレスが溜まっていたのだと思います。
それも、きっと夫をギャンブルへと走らせた原因の一つであると思っています。
結婚2年目にして、ようやく私たちはお互いの意見を聞き、自分の意見もきちんと話す、というステージに立てたようです。
本当は、もっとずっと前にできていなければいけなかったことですが、夫のギャンブル依存症がきっかけで、私は今までの夫への対応についての反省点に多く気づくことができました。
私たちは、今まで圧倒的にコミュニケーションの質が悪かった。
特に私は、目の前にいる人を受け入れ、その言葉に耳を傾けることを怠っていた。
そんな風に思います。
子どもじゃあるまいし、と言われるかもしれません。
でも、ギャンブル依存と借金は、夫が出していたSOSだったのではないかと思うのです。(だから許せる、ということではありませんが)
それが、ギャンブル依存症者全員に当てはまるかどうかは分かりません。
ただ、夫の普段の性格や人柄を見ていて私はそう思ったのです。
それは、夫が育った環境も大きく関係しているのだと感じます。
この一件があってから、私たちは喧嘩をすることがほとんどなくなりました。
以前のように、何か気に入らないことがあればお互い無口になり、1週間ぐらい口を利かない。そんな子どもの喧嘩のようなことはなくなりました。
以前よりも、深い話ができるようになったし、心のつながりはより深くなったと感じました。
結局、消費者金融からの借り入れは、夫の口座からお金をおろし夫と二人でATMへ行き完済しました。
ATMに吸い込まれる分厚い札束を見ながら、
「これで終わりだよね」と私は夫に念押ししました。
夫は、神妙な面持ちで
「うん」とだけ言いました。
この時は、本当にもうこれで借金から解放される!!と気持ちが軽くなりました。
後は夫に自助グループに参加してもらい、依存症の回復を目指すのみ。
そんな風に軽く考えていました。
↓こちらの記事へつづく
こちらもよければ。
今ならわかる。お金の管理ってつまりそう↓
家族になりたい
↑前回↑からの続き
夫に、ギャンブル依存症について話す日が来ました。
私がその時決めていたのは、本人ががギャンブル依存症であることを認めて、依存症から回復したいと望むのなら私もそれをサポートすること。
だけど本人が、自分は依存症ではなく、犯罪を犯しているわけでもないのに、パチンコへ行くことをとやかく言われたくない、などと言うのであれば離婚に向けて話をする。
ということでした。
まず最初に私が夫に言ったのは、
「私はあなたと家族になりたい」
でした。
突然言い出した私にキョトンとする夫。
「え、今家族じゃないの?」
続けて私は、
「子供が欲しい」
と言いました。
なぜこんなことを言ったかというと、当時、私たちは一緒に住んではいるけれど、夫は私には言えない大きな闇を背負っている。
そして、その大きな闇に彼自身苦しんでいるのかもしれない。
それに気づいたとき、お互いの弱い部分、苦しい部分を補い合えないなんて、これでは結婚していても本当の意味で家族になっていない、と感じたからです。
あとは単純に、私はそろそろ子どもが欲しいと思ってはいたものの、結婚当初からレス気味だった夫婦生活が、借金発覚後から完全になくなっていたからでした。
そもそも夫が子供を望んでいるのかどうかも、当時の私にはわかりませんでしたし、そういった話を切り出すこと自体が、とてもハードルの高いものだと感じていました。
ギャンブル依存症(プラス嘘つきグセ)を直さないと子供を産んで一緒に育てることは困難です。
もしも夫に子供を持つ気があるのなら、依存症から回復する努力をしてほしいと思っていました。
私に「子供が欲しい」と言われた夫は、驚きながらも、
「自分も子どもが欲しい」
と答えてくれました。
すかさず私は、
「じゃあ、これ読んで」
と、事前にプリントアウトしておいたギャンブル依存症についての資料を渡したのです。
資料を見て固まる夫。
私「あなたはギャンブル依存症だと思うよ」
夫「いや、違う、パチンコなんか行かないし」
私「行ってるでしょ。見たから。全部知ってるよ。」
以前私に嘘をついてダーツバーへ行ったのが発覚した時と同じように、白を切ろうとする夫。
でも本人はひた隠しにしてきたことがばれてしまって、かなり動揺しているから、白を切りとおすことなんてできないんですよね。
結局根負けして資料に目を通すことになりました。
そして、20の質問についても答えてもらいました。
この質問のうち、7つ以上当てはまる人は強迫的ギャンブラーの可能性(要するに依存症)が極めて高いと言われています。
夫は11個当てはまりました。
そこでようやく、夫は私に黙ってパチンコへ行き続けていたことを認めたのでした。
最終的に夫は、ギャンブル依存症から回復したい、そのためにもGAに通いたい、と言ってくれました。
その資料の中で、一番夫が心を動かされたのが、
ギャンブル依存症者は、ギャンブルを死ぬほど止めたいけど死ぬほどやりたい
その一文だったそうです。
この言葉は、自分自身に当てはまると言っていました。
私の思っていた通り、夫はパチンコ屋へ通うことをやめたいのにやめられず、苦しんでいたのでした。
これを聞いて、きっと多くの人は「意志が弱い」「行きたくないならやめればいい」と思うはずです。正直私もそう思います。今でも思います。
だけど、やめられないのが依存症の恐ろしいところなのです。
どう説明したらいいかわかりませんが、
死ぬほど止めたいけど死ぬほどやりたい
この言葉は、とても忠実にギャンブル依存症者の心を表していると思います。
夫は泣きながら、「依存症から回復したい」と私に言いました。
↓こちらの記事につづく
死ぬほどやめたいけど死ぬほどやりたい
前回の記事はこちら↓
GPSでの追跡の結果、夫が毎日のように私に嘘をついてパチンコ屋へ出入りしていることがわかりました。
そして、頭の片隅にあった
「ギャンブル依存症」
という言葉の存在が、私の中で大きくなっていきました。
私には、ギャンブル依存症についての知識はほとんどありませんでした。
その言葉を知っていたのは、NHKで放送されたギャンブル依存症についての特番を見た父親がたびたび、
「ギャンブルは危険だ、依存症になってしまう」
と、口にしていたからでした。
(しかし、そもそも私はギャンブルなどしたこともなければ、パチンコ屋へ出入りしたこともないので、自分にはまったく関係ないものとして、父親の言葉も話半分でしか聞いていませんでした。)
夫のパチンコ屋通いを知ってから、私は毎日のようにギャンブル依存症についてスマホで調べていました。
そのときに私が見ていたサイトは、どこかの医療機関のサイトだったと思います。
(このブログを書くにあたり、探してみたのですが、見つけられず……)
そのサイトには、ギャンブル依存症者の特徴などが書かれていました。
一番の特徴は、「嘘をつくこと」
もう、これは夫にピッタリ当てはまることです。
実は付き合っていたころから、なんでそんなしょうもない嘘をつくんだろうと思うことが、たびたびありました。
嘘をつくのが下手なのに、嘘をつくのです。
そこでおかしいと見破れなかった自分も情けないのですが……(´;ω;`)
そして、そのサイトにのっていたある一文にハッとさせられたのです。
ギャンブル依存症者は、
ギャンブルを死ぬほどやめたいけど、死ぬほどやりたい。
この言葉をみて、
「もしかしたら夫も実は苦しんでいるのかもしれない」
そう思うようになりました。
それまでは、私に嘘をついて一人で楽しんでいるのだと思っていました。
でも本当は、やめたいのにやめられない、その苦しみを背負っているのが依存症という病気なのだと気づいたのです。
もしかしたら私が助けになれるかもしれない、と。
それまでは、どうやって夫の嘘つき癖や考えを改めさせるか、あるいはどうやって離婚の話を進めるか、そんなことばかりを考えていました。
だけど、夫の依存症の克服のために、私にできることがあるなら。
そう思いなおして、さらにネットで調べていくうちに、GAという自助グループの存在を知ることになりました。
GAとは、「ギャンブラーズ・アノニマス」という、ギャンブル依存症者が依存症からの回復を目指すための自助グループです。
夫もここへ通えば、ギャンブルをやめられるかもしれない。
そう考えた私は、GAの最寄りの会場を探し、今まで見たサイトや、GAのHPを印刷し、夫にすべて話すことに決めました。
↓こちらの記事へつづく
繰り返される嘘とGPSの追跡
前回の記事はこちら↓
張り込みの結果、浮気の証拠はつかめませんでした。
むしろ、浮気ではない可能性が出てきました。
でも、実際に夫がパチンコ屋から出てくる瞬間は見れていません。
結婚前も、結婚してからも、夫からパチンコの話を聞いたことはありませんでした。
そもそも、夫がパチンコ屋へ行く人だなんて、思ってもいませんでした。
なので、本当にあの時夫はパチンコ屋から出てきて車に戻ったのだろうか、それとも、どこか別の場所から、パチンコ屋を経由して出てきたのではないだろうか……などと、頭の中でひたすら考えていました。
仮にパチンコ屋へ行っていたとして、なぜ嘘をついてまで行くのかが、理解できませんでした。
夫の今までの行動と、今回の件をうまく結び付けられず、ひたすら悶々とする私。
翌日からもGPSの追跡を続けます。
するとあることに気づきました。
夫の所属する営業所近くのパチンコ屋に、夫の車がよく止まっているのです。
GPSの制度は100%ではありません。いくらかの誤差は出ます、と説明書に書いてあったので、初めは誤差なのだろうと思っていました。
でも、張り込みの一件があってから、これは誤差ではないのかもしれないと思うようになりました。
そこで、ある日私が仕事から帰ってから、夫にLINEを送ってみました。
私「今日も帰り遅くなりそう?」
夫「今、事務作業してるから、20時までには終わらせて帰るよー」
その時の時間は19時前ぐらいだったでしょうか。
GPSで追跡をしてみると、いつもの(誤差で示されていたと思っていた)パチンコ屋を示しています。
私は仕事終わりで疲れているし、行ったことのない場所へ(しかも夜)運転していくのは正直嫌でした。
でも確かめるなら今しかない
と決心し、スマホのナビを片手に車に乗り込みました。
ペーパードライバーのうえに方向音痴なので、途中真っ暗な田舎の山道で迷子になりながらも(´;ω;`)何とかパチンコ屋へ到着。
駐車場に車をとめて、夫の車を探してみると、やっぱりありました。
お店の中まで入って、夫がいるかどうかを確認したかったのですが、生まれてこの方パチンコ屋へ入ったことが無いし、今夫に見つかったら、私もきっとどうしていいかわからずパニックになると思ったので、おとなしく車の中で待機することにしました。
そして20時ごろ、夫から
「今から帰るよー」とLINEが。
その直後、パチンコ屋の自動ドアが開いて、夫が出てきました。
そして私の車にも気づくことなく、自分の車に乗り込んで走り出します。
私は悲しくなって、車の中で一人泣きました。
何やってんだろう、私。
そして途中でお弁当を買って帰宅。
私より先に家に帰っていた夫に
私「ごめん、ちょっと実家に用事があって行ってたからごはん作れてない~」
とお弁当を手渡してその日はおしまい。
翌日から、私は「ギャンブル依存症」について調べ始めました。
↓こちらの記事へつづく